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独り言(1)

建築に関する独り言。
意味不明の文章があるかも知れない。
日本語になっていない文章があるかも知れない。
造語・俗語・思いこみ語・端折りすぎ語の類もあるかも知れない。
備忘録としてメモしている箇条書きからの抜粋(1997年4月以降)。
自分自身が分かれば良い独り言である。

●020329

ハーモニー+詩=フレーズの表現

●020320
文連会館の事を思い出した。45にして、22〜3の事を思い出した。もう、戻れない。記憶も薄れた。大切な時。

●020207
音楽/建築=時間/空間=通時/共時=狩猟/農耕=再現/創造=感性/理性?

●020128
そのつど決めて来たことなのだから、何ら恥入ることは無い。これから直せることは直せばよし。直せねば仕方なし。それで良い。それが、私だ。

●020127
格好付けずに、力を抜いて。(美鈴)

●020101
誰かと組んで何か出来ないだろうか。男二人のデュエットとか、、、仕事でも。




●011231/生活を食する
生活を充実させるのは、がつがつ目標に向かってやる事なのでも、何もせずにぼんやりと瞑想にふける事でも無い気がした。 食べ物を味わうように、仕事も趣味も家族との時間も、旅行も散歩も普通の時も、通勤も現場も遊びも酒も、寝ても覚めても、よく味わうことなのでは無いかと言う気がした。

●011228
いろんな捉え方があるのだけど、これからは「人生は楽しいものだ」と定義してみようと思う。

●011226
奈良で友人の松田氏が設計した建築を見た。力がこもっていた。こういうのが一番嬉しい。励みになる。

●011218
音楽;構成を大きくつかみ、部分部分での詩の表現・音の表現(音の強弱・ハーモニー・断続)を考慮する。リズムは基底に普遍にあることが多い。発声法を配慮し、以上の要素を音や言葉にする。つまり、発声法のみであるとか、ピッチのみであるとかに意識を奪われずに表現すべきであると言うこと(木を見て森を見ず)。

●011211
潔い施主+潔い建築家=潔い建築
子供の頃のような自分;しっかりと肉体に精神が宿っている自分;呆然と都市の中に浮遊していない自分;が大切。

●011208
写真家の目黒氏曰く;「狭くするな=施主に媚びるな/逆に押しつけるな=要望は解決しながらも、先生になって狭い造形に落ち込むのでは無く、やりたい形を自信を持ってやりなさい。もっと可能性があります。」 はい、ありがとう。

●010815
志を高く持つこと(岸成之)

●010309
美の永遠を願って、絵画や写真に凝縮しようとする訳でしょう。

●010301/表現
建築空間を作る上での、基本的な技術と考え方は身に付けた事にしよう。さてこれから、私が表現し他人が感受してくれる何かを作ろうとしているのだが、それは一言で言えば「空間」なのだが、優れた空間を作るためには、基礎的な技術や考え方を羅列するのでは無く、何者かを表現すること、そしてそれを他人に伝えられる事が必要である。そのための準備として、周囲の空間から特筆すべきモノを感受しようと思った。受け取るべきモノたちは意外と身近に、平凡な環境や街や建築の中にも潜んでいる様な気がする。

●010226
同時に同じ空間に共存するのは、短い時間の物語、我々の物語、長い時間の物語。

●010106/造形
自分の造形的能力を過信した造形をしない事。造形はあるシステムの必然的結果としてなされるものとの立場を取る事。建築は奥が深いから、そのくらい絞り込まないと表現したいものを造形できず、それ以外のものを造形してしまう羽目になる。

●010106/過去・現在・未来/今年の営業的な抱負
現在/走り続ける事。今持っている能力で、眼前の課題に解答して行く事。
過去/過去に作った建築について気付いた事はその都度住み手に伝えて行く事。
未来/これから先の仕事を発生させるための準備を気付いた時に進める事。




●001212
昨日一昨日と京都に行って来ました。土曜の夜の旧友との忘年会が目的だったのですが、昼間は、醍醐寺や南禅寺を久しぶりに歩いてきました。
醍醐寺の五重塔や金地院の方丈など、質の高い古い建築や庭を見て、久しぶりに癒された気がしました。長い時間を経ても残っているものの中にある真実のかけらがこちらの気持ちを惹きつけた様な気もします。

●000906
他にどんな時でもどんな場合でも頼れる人やものが居ない以上、自分を頼るしか無い。自分のいろいろな側面(長所短所)を知っている現在の私が頼る私とは、あらゆる不安や疑問の問いかけが帰結する先としての存在である(多分)。

●000816/過剰(局部的進化)→素直で素朴
モダニズムの建築は、同じ事を繰り返しているかのごとくにも見える。柱・梁のグリッドやルーバーなど、コルビジェたちが全て高いレベルでやってしまった。

現在作られている住宅を見ると、例えばルーバーが壁面を被ったり、或いはとても整理されたストイックなプランであったりと言う事も含めて、生物の局部的進化を見る様な気になる。角が伸び過ぎてぐるぐると巻いてしまったヤギの様な進化は、或いは日本的とも言える文化の吸収過程の様相を示しているのかも知れないが、とてもマニアックな香りのする、硬直した、末期的症状とも見えなくも無い。

何か、素直で素朴なもの。原初的で生き生きとした、自由な印象を与えるもの。そんな、建築が作れないかと思った。




●991023
建築においては、光・構造・構成の三要素で形作られた空間に、人間による使用と言うことが加わって生きた場が形成されるのだと思っている。
音楽においては、旋律・リズム・和声の三要素にて表現する際に、人間(演奏者)と言うフィルターを通す事によって、空間が形成されるのだと内田氏が言っていた。

●991011
希求(本気でものを見ようとする眼差し);目時智子展の感想
客観的に描こうとする試行錯誤(絵の具の塗り重ね、時間をかけた筆による格闘)の後、絵の中にある「感情」が表出されてくる。
それは、本来彼女が持っていたもの?、対象に含まれていたもの?、それともその絵画的行為から生まれ出たもの?
・・・彼女はこの様にして「絵を作っている」。

●990720/ザックリ
細かくてつまらないものを削ぎ落として、ザックリと作りたいね。

●990719/テーマ
ある一つのテーマを深め続けながら、新しい驚きを常に表現出来たら、素晴らしい。
取りあえず、テーマを、光と風と言ってみる。

●990607/詩
最近感じているのは、住宅の空間には「詩」が欲しいと言うこと。
詩=そこで展開するであろう生活のイメージの背景として、
その建築の持つ(品のある)光景。

●990322/攻撃
信じられるのは自分の目なのです。自分の考えなのです。
作り上げた建築に対して、他の建築家やマスメディアの制作者などは、
傾聴に値することも言って下さるけれど、
本質的な部分での価値判断は自分でしなければなりません。
自分で作ったものに対しては点数が甘くなる事が多いので、
見る目のある方の意見を素直に受け入れる部分も必要ですが、
建築の新しい価値や本質に関することは、
自分を信じて挫折することなく攻撃し続けるしか無いのです。

●990116/
(1)未来の日常性のイメージが、生活と言う過去の日常性を駆逐しあるいは巻き込み、誘導していく。
(2)即物的に作り出されたモノの中に建築の本質的価値が生成される。
どちらかな?

●990104/オリエンタリズム
西洋人の眼差しで日本を見ている。
モダニストとして、日本建築をとらえている。
暗部を見る目で自国の文化を見ている。
二項対立の罠。
コルビジェの目で建築をとらえる必要がどこにあるのか?
だが、他にどんな見方が出来ると言うのだ。
モダニズムの隙間を突いていくと言うのはどうだい。




●981226
内田氏によると、材料の持つ自然な性質を生かして作る音楽は民謡なのだそうだ。私の作る建築は民謡レベルか。また、指揮者は団員それぞれの技量を引き出すべく努力しているらしい。だが、私はそれぞれの大工の事をほとんど知らない。

●981101
優秀なインテリアデザイナーの作った住宅を見た。建築の骨組みや建築計画などに新しい主張がある訳では無いのだが、優れたデザインのディテールや表面的美しさが住宅を一級のものにしている。
優れたデザインのディテールや表面的美しさが住宅を一級のものにする例を見た。

●981021
ありふれた醜悪な一般的な住宅とは異なる、批評されるに値する新建築に載っている建築の様な住宅を作ろうとする設計者の方向性は、非日常の建築を目指す方向と言えるとすれば、そういった新建築風の批評性のある様なもので無く一般的な住宅とも異なる、本来の日常を体現した住宅にて建築を主張する事が大切かも知れない(大西氏の月評をヒントに)。

●980927
私は住宅としての住宅ではなく、建築としての住宅を作りたいと思う。

●980906/ 目標と方法
理想的人間像(近代人)があり、彼らの住むべき理想建築があった(モダニズム)。近代人は死に、その為の方法は意味を失った。自由な平面、自由な構造、明るい生活。
方法のみが一人歩きしている様にも思える。それで良いのだと言う気もする。方法が一人歩きした結果、偶然生まれる「何者か」を期待して我々は作り続ける。その為に新しく強い方法を模索する。
だが、目標は本当に死んだのか?近代人は死んだが、立体は生きているのでは無いか?
そこに誘導するものは強いイメージなのか?それとも即物的で個別的な取り組みなのか?

●980701
見たことの無い空間を作ってみたいと思わないか。

●980626
遊びの感覚が建築造形の最近の拠り所である。

●980624
コンセプトの一貫した表現が建築造形だと言ってみる。

●980618
建築とは、即物的で個別的な造形である。

この場所は、刻一刻と変化し続ける。
人々は自由に入り込み、知らず知らずの内に空間を作り出す。
この場を利用する人々の、人数・目的やその日の天候・時間などによって様々な風景が作り出される。

●「もの」と「こと」/ 980512
(1)「もの」を見据えて「もの」を作る。(2)「こと」を見据えて「もの」を作る。

いずれにしても、作られた「もの」の内では、「もの」(正確にはもの-こと混成体=人間)との間に、「こと」が発生する。やがて、ここでの「もの」-「こと」の関係は、人間によって身体化される。

●強い建築の別解釈/ 980508
生活に対抗する力を持った建築ではなく、生活に溶け込む、或いは生活を巻き込む建築。

●個別解/ 980503
全ての課題は、自分という個人的な回答(個別解)の集積からそのあり方(方向)が見えてくるものだ。人間性・地域性・歴史性・環境などの課題への回答も「個別解」から生まれるものであって、「一般解」から生まれる事はない。例えば、過去の伝統的な建築物の形態を参照し(勉強し)何らかの形で再生させても、日本的な建築を作ったことにはならない。個人的に最適と思われる回答の中にこそ、日本的なものの萌芽が見えてくる筈である(ここで日本的=新しいと置き換えても良い)。日本を意識した回答の中にでは無く、意識しない回答の中にこそ日本的なものが見えてくる可能性があると言い換える事もできる。(妹島和世読本の読後感)。

●造形/980428
効用や機能が、建築と言う造形の価値(目的)ではない。建築の目的は、造形そのものである。

●ザッハリヒ/980416
建築は即物的に外部と繋がっているのである。社会などと言う概念と繋がっているのではない(開口を大きくしたから近隣社会と繋がるとか、個室に直接入れる様にしたから現在の生活様式を満足させたとか言うのは間違い)。

●980324
(造形に於いて)平凡の侵入を許さないこと。

●芸術について/980320
本数の少ないバスを降りてから随分歩いた末に辿り着いて見た建築に感動するように、都美術館ではなくプラド美術館まで行って見たベラスケスにこそ感動するように、音楽も会場に居て演奏家を見ながら、彼女の奏でる音を聞きながら、自分の仕事や生活の事などをぼんやり考えていてイメージが膨らんで、「仕事頑張るぞ」などと思った瞬間、同時に演奏も盛り上がっていたりした時に、新鮮な感動を受けるものだ。

芸術はみな同じである。どの分野も平等である。要は自分がどんな関わり方をしたかなのだ。(志村泉のピアノ演奏会の感想)。

●住みたい場所のイメージ/980312
どんな生活がどんな風になされるのかを見極める事から、そこに建つべき建築の姿が見えて来るのではないか。つまり、自信に満ちた生活のイメージが、新しい建築を作り出すきっかけになるのではないかと。

●美/980306
愛情と美意識は別物である。
愛情を美意識にすり替えていないか?
君の作った建築への愛情を、君の建築の美と勘違いしていないか?

●機能重複の場/980214
・削ぎ落として出来上がった住宅の中心に、どの室ともあいまいに結びついている場をつくる。

・設計者のデザインコンセプトと施工者の収まりの主張のどちらも飲み込んであいまいになった包容力のある空間。

・住む人間がそこであいまいに刺激を受け、何か新しい生活が生まれて行きそうな予感。機能重複の場

●980213
自分の為に、自分の思うことを。他者の目で判断せず、他者の立場に立たず。

●写真にならない建築/980125
写真になる部分の写真になる要素は、実は建築家のデザイン過剰の部分だったりする事が多く、あまり建築として良い部分ではないのかも知れないと思った。クロワッサン2/10号の住宅は、その点写真にならない良い建築である。

●980103
変化するのは建築ではなくて、人間の方。




●内部と外部の分裂 /971229
内部は、個々の生活様式・インテリアを構成する下位のもの(家具・什器)などと関係するのに対し、外部は、町並みなど上位の都市的要因と関連する。内部も外部も同じ人間のものである事と、内部空間の構成に自然光・通風など外的要素が重要である事が無ければ、内部と外部は別物であると言っても疑う人は居ないであろう。

●分かったこと/971208
どんな人が住もうと、それに対応(対抗)できる「包容力のある建築」を作るのではなく、実際に住む・ある人のために「特化した建築」を作るを目標とせよ。

●無題/971122
人間の為の建築ならば、睡眠の為の建築であろう。

●普通/特別 /971113
新日本人;酒井順子氏によると、今現在の日本の状況が、現在最も日本的(当たり前)な事(もの)なのだ。和服を着ることでもなく、アメリカの文化を真似する事でもなく、・・・。この普通の状況が。
僕らの作るべきものは、「普通のもの」なのだろうか、それとも、「特別なもの」なのだろうか。

●「包容力」について /971113
「内部空間」、「曖昧な仕切による機能重複の場」、「構造体の強度(生活によって壊されない建築表現)」などは、建築の包容力と言え無くもない。
しかし、反面、包容力と言う言葉は、「中途半端」も表す。
何をやりたいか。やりたい事に従順に「勇気」を持って力強く進められるか?!

●住むと言う機能をやめてみる事 /971110
機能を繋ぎ合わせれば、住める建物は出来上がる。例えば「間取り」。
今、あえて機能をやめてみて、家の雰囲気を醸し出すもの(建築)を作ってみたとする。
屋根らしく見えるが屋根じゃ無い形や、使えないがとても部屋らしい空間や、光も風も通らないが窓らしい窓など、ともかく機能を停止しながら同時に最もそれ(住宅)らしい空間や形体や質感を作ってみたとする。
すると、間取りで作られた住宅に対して、機能を停止して作られた(住宅)は、住宅と言う建築の今後について、何かを提言している気がした。

●「 建築は今行き詰まっていますか?」 /971014
・・・・いないでしょう。
行き詰まっているとすれば、それは作者である設計者(私)です。
私にも「作りたいもの」はあります(ある様な気がします)。
でも、それを実際の建築にするのはなかなか難しいのですね。
建築の種類、コスト、使われる既製品の量・・・など、
いくつかの難関を突破する<勇気>がなければ、
「作りたいもの」或いは「新しいもの」は出来ない気がします。
つまり、作者である設計者(私)には、
現在、<勇気>が少々欠如していると言えるのかも知れません。

●コンセプト/971010
建築の設計には、<原型→コンセプト→空間>と言う
流れがあるのではないかと考えた。
例えば、住宅で言えば、
日本人の中に共通する住宅の「原型」があり、
それを踏まえての、自分なりの美を意識した強い「コンセプト」があり
最後にヴォイドや光を駆使した内部「空間」の作成がある
のではないかと考えたのだ。
今の私に、とりわけ欠けるものは何かと言えば、
強い「コンセプト」だろうと思う。
曖昧なコンセプトは、曖昧な表現を生み、
柔らかく・優しい表現と誉められる事もあるが、
結局は表現の中途半端であろう。

●空想/970812
多少、自惚れが強い方が良いのかも知れない。
弱気になると、時流を追ってしまう。
そこに書かれたコンセプトも怪しいものである。
こうして出来たモノには、信念が欠ける。迫力が欠ける。
優しさと言う名の、中途半端なキャラクターが残る。
妙な臭いが残る。

●こだわりについて/970710
M氏の住宅を見学してきた。彼の表現には彼独特のこだわりが見て取れた。
それは彼のやさしいキャラクターの発露とも感じられた。
だか、彼のあのこだわりは、どこまで拘るべきものなのだろう(どこまで重要な事なのだろう)と考えたとき、
自分自身のこだわりに拘って作り上げられた建築が、あまり魅力的には感じられなくなっていた。
こだわりにこだわるのでは無くて、何にこだわるかと言うことの方が大事でないかと。

●キャラクターの発露/970709
建築とはその人自身(人間)の発露なのだと言う内容をアトリエギガの小林氏がメールで言っていたが、頷ける。
ハードを製作する時、そこに表現されてくるものの中に、消しきれず残るもの、或いは最も良く表現されているものは、作者の予想(或いは意図または希望)に反して、彼の人間性(キャラクター)である事が良くある。
 例えば、素人に建築の感想を聞いたときに、同一の抽象的な感想が帰ってくる事があるが、それは私のキャラクターを言い当てられているのだと言う気もする。
 ここで、マスメディアは、近い将来その生彩を失いかねないのではないかと言う想念が浮かんだ。逆に彼自身の手によるホームページなどが重みを帯びてくるのではないかと。
 具体的なもの(ハード)を客観的に写し出した写真と、作者のキャラクターを知らない編集者による解説という媒体が建築を最も深く表現し得ると思われた時代は去りつつあるのかも知れない。
具体的なもの(ハード)の情報と、彼自身が知らず知らずの内に表現されている「ホームページ」と言う媒体こそが、建築を最も良く表現し得るのではなかろうかと。

●ハードとソフト/970625
しかしながら、上の内容(970624)は「ソフト」なのである。
人間関係なのである。極言すれば収れんも拡散も、どんな場所(どんな建築)でも起こるのだ。
 この「ソフト」と「ハード」は人間を介して分離しがたく混濁しているらしいのだが、これをあえて分けてみる。
すると建築とはハードの製作ではなかろうかと思えてくる。

●収れんと拡散 / 970624
定義みたいな事;
 例えば、散歩に行きたいのは「拡散」の要求である。
逆に、道を歩きながら、親しみを感じた店や風景に意識が向くのを「収れん」と言うとする。
いわば拡散は収れんの為の準備である。
彼女とデートしている時間は収れんしている。
その場合、周囲は室外でも室内でも拡散している。
つまり、意識の収れんと空間の拡散は同時に起こっている。
家族(妻と子供たち)と居るときは、周囲が拡散している事と、快適な環境が与えられれば、収れんの幸福を体験できる。

●970521 いつも剣を抜いていようと思った
(刀を鞘に納めて持つのでなく、抜き身で持ち歩くと言うこと)。

先日、上原君と酒を飲んだ時に、
「下手な奴が詰め将棋をするな」と言われた。
当たっていると思った。




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