北海道での仕事 (previous page)北海道での仕事

弟子屈の経験

 友人のY氏からユース・ゲストハウスの設計の話があったのは、2年前の冬であった。ユース・ゲストハウスとは、ユース・ホステルの一種で、施設としてのグレードを上げ料理などのサービスも向上させた新しい宿泊施設である。

 

 例のごとく、まず、敷地を見に飛んだ。そのころ、Y氏はまだ札幌に住んでいた。大阪育ちの彼は北海道を愛し、少年の頃からの夢だったユース・ホステルを開業しようと、札幌に移り住み、仕事の傍ら北海道各地を見て回って、ようやく川上郡弟子屈町の屈斜路湖の近くに、ユース・ゲストハウスに適した土地を見つけたのだった。札幌の彼の家で一緒にユースを経営されるご両親ともお会いし、そのまま泊まらせて頂いて、次の朝早く彼の自慢の4WD(デリカ)で弟子屈に向かった。

 

 札幌から弟子屈は遠い。冬場の8時間の道のりは助手席に座っている私には楽しかったが、運転している彼は疲れただろう。やはり、北海道は広いのだ。日勝峠を越えて足寄を過ぎ、阿寒国立公園に入ると山や森の姿が白い雪原とあいまって一段と美しい。蝦夷鹿の群れが木々の間を闊歩する様など、札幌育ちの私も初めて見る光景であった。

 

デザインの力量

 目指す敷地は屈斜路湖の南岸一帯に広がる荒涼とした原野にあった。一面の雪原で広さがつかめなかったが、遠くに見える原生林も敷地の一部だと聞いて驚いた。ここは、屈斜路カルデラの中に位置し、南側に外輪山が迫る。北側に屈斜路湖の水面を見る事ができる敷地は湖に向かって緩い勾配のある平地である。国道243から直角にまっすぐ伸びる町道が敷地への唯一のアクセス路だ。それにしても、迫力のある土地である。「原野」と言う言葉がこれほどぴったりの場所もあるものなのだ。外輪山が荒々しくそびえ、雪原は純白である。ここに立つ建築は、なよなよしたものでは周囲の自然に圧倒されてしまうだろう。

 

 実は、この仕事の話を電話で聞いたときに、東京の事務所で最初に湧いた建築のイメージはスマートで優雅な都会的なものであった。だが、それでは駄目だ。自然の迫力に負ける、色に負ける、形に負ける。

 

 東京都内の狭く変形した敷地に建物を建てる場合等には、道路斜線、高さ制限など法的な制限が多くかかり、時には法的制限のままに建物の外形が決まってしまう事さえある。法的制限はデザインの妨げにもなるが、デザインを始めるきっかけにもなる。道路斜線でどうしても斜めの壁がでる場合には、むしろこれを利用して、面白い建築を作ろうとする事もある。ところが、この原野はどうだ。全く自由にデザインして下さいと、私に向かって空間を突きつけて来ながら、デザインのきっかけを示さない。こういう場所でこそ、設計者の力量は試されるものだ。

 

中心点

 ともかく、事務所に戻って案を練る。

 

 「茫漠とした平原に立つ建築は、周囲に圧倒されて消滅せぬものである事。」がさし当たってのテーマとなる。その為にどこから手を付けようかと思いあぐねたが、デザインのきっかけの無い敷地でデザインを始めるために、まず、中心点を決める事にした。この中心は、はるばる大阪から道東に移り住み、この地に根を下ろすY氏の生活の中心であり、訪ねてくるあまたの旅人の心の安らぎの中心でもある。・・・中心点の上に大地に垂直に立てられた塔の空間。そこが、談話室である。この迫力のある吹き抜けのホールを中心に、宿泊室や食堂などを配してはどうだろうか。よしよし、面白くなってきた。ストーリーは出来てきた。

 

 次に、周囲に圧倒されない形体とは何だろう。純粋な自然に対抗できるものは、純粋に人工的な形体ではないだろうか。純粋に人工的な幾何形態。・・・これだ。

 

 そうやって出来た第一案は、数年前に旅したときにヨーロッパの田舎で出会ったロマネスクの教会堂を思い起こさせる、集中型プランの建築であった。

 

Y氏との打ち合わせ

 例によって簡単なヴォリューム模型を持って、再び札幌のY氏を訪れた。

 

 波長が合ったと言うのだろうか。Y氏はその案を丸ごと気に入ってくれた。こちらも嬉しい。今回の打ち合わせで、ご両親の住宅も敷地内に建てたいと言うリクエストが新たに出た。息揚々と東京に戻って、また、案を練る。ご両親の住宅は、このユースに接続してしまおう。その方が冬場の行き来にも便利だし、少しでも大きくする事によって、国道を通る車からも分かりやすくなる。ユース棟は2階建てで棟の部分が13メートルもある縦に伸びた空間だが、ご両親の住宅は横に伸びた、1階建てとしよう。それによって、国道から見たときに縦と横に伸びたユニークな形態がいやでも目に入る。ご両親の為には階段を使わない建築の方が将来的にも良いのだ。

 

 この様にして第二案は、縦に伸びたゲストハウスと柔らかく横に伸びた住宅棟が対立しながら接続された、かなりユニークな形体のものとなった。これなら、自然の中で「屹立」できるかもしれない。今回の建築は、その形体から判断して木造とされた。予算的にもその方がベターである。第二案もY氏は文句なく気に入ってくれたので早速設計に取りかかった。

 

 中心点上に吹き抜けのある縦の空間は談話室として、旅人の憩いの場となるだろう。その南側には食堂・デッキを介して外部の広大な庭へと空間が連続している。二階は談話室のホールの周囲にギャラリーが巡り、ギャラリーには宿泊室の扉が開いている。こうすることによって、吹き抜けを囲んだ宿泊室と談話室のつながりが生まれる。宿泊室は、従来のユースホステルに見られる蚕棚式の2段ベッドではなく、一見ツインベットルームと感じられる空間構成として快適さを増した。また、ロフトを利用したベッドも作って、小窓を談話室の吹き抜けに面して穿ち、立体的な面白さを狙った。これに対して住宅棟は、S字状にうねりながら横に伸びる空間とし、室内の壁面上部をガラスにすることによって、空間の流れと広がりを作り出している。和室と居間の間は障子でつながっており、全国に友人の沢山いるY氏のプライベートな客が沢山来たときには居間と和室を一室として使えるよう工夫されてもいる。

 

 設計は順調に進んだ。釧路支庁と打ち合わせをしながら確認申請を進め、標茶保健所や弟子屈消防署にも通った。それと平行して、平面図、立面図、断面図、矩計図と描き進み、建具図や家具図、詳細図なども道東の技術的な事を考えて分かりやすく念をいれて描いて行った。

 

 季節は春から夏に向かっていた。

屈斜路原野ユースゲストハウス

横槍

 全くスムーズにここまで来た様だが、実は第一回の打ち合わせの後で、地元のある業者から横やりが入った事があった。その業者の知っている設計者にやらせたら、設計料はほとんどいらないと言ってきたらしい。それでこの建築の設計が一時白紙になりかけたのだからたまったものじゃない。素人を騙して旨い汁を吸おうと画策する人間がこんな綺麗な道東の地にも居た事にショックを受けた。建築物を建てる際には、その元になる設計図が必要である。建物が異なれば当然設計図も異なってくる。その土地に最も適した建築を作るために設計者はアイデアを練り、図面を描く。今回の話ではないが、ある業者が、「うちは設計料はいりません。サービスでやります。」と、ある建主に持ちかけたそうだ。設計料がいらないと言う事はその会社の設計担当者は給料がいらないと言う事なのだろうか?おかしな話である。設計担当者の人件費は当然の事として、その業者の工事費に含まれてくるのである。

 

着工へ

 そうこうする内に着工の時期が迫ってきた。冬場の事を考えると、来年の夏までにオープンするためには逆算するとそろそろ建設会社選びだ。

 

 今回は、不慣れな土地と言うこともあって、紹介された地元の建設会社にまず見積もってもらった。なんとか建主との間で予算的な折り合いが付き、この建設会社に工事を依頼したのだが、工事が始まってからこの会社が純粋な道東の地に巣くう「古狸」だと知る事になる。これにより現場監理も苦労したが、それよりも工事中、建主に大きな心労をお掛けすることになってしまった。建設会社を選択する際は、信頼できる人からの紹介でも特名とはせず、やはり数社から見積りを取り調査すべきでる。

北海道の建築をめざして

監理の重要性

 建主と建設会社との間で工事契約が結ばれた。いよいよ着工である。

 

 今回の契約書には、事務所の指定する契約約款を添付してもらった。万一のトラブル時に役立つ事もあろうかと添付したのだが、これはやっておいて良かった。現場打ち合わせと言うのは普通は数時間で済むものなのだが、今回は2日がかりだった。1日目に一人で現場を歩き回り、手抜き部分や間違いを一つ一つチェックし、次の日の建設会社との打ち合わせに臨んだ。

 

 設計事務所は、建主と建設会社の間にあって客観的な立場で物事を判断する。だから、もしも万一、建主が無理な注文をした場合には、中立的な立場で説明して、建設会社に損害を被らさぬようにできるし、逆に建設会社が手抜き工事や楽な仕様への変更をしようとした場合は、建主に代わって指導し、設計図書通りに工事させる事が出来る立場なのだ。もしも、今回の現場を監理する事なく設計図だけをこの建設会社に渡していたらどうなっていたろう。ちょっと空恐ろしい気がする。素人の建主では、好き勝手にやられていたに違いない。「設計事務所は設計と監理をします」と、仕事の話がある度に最初に言ってきたが、今回ほど、設計事務所の監理の重大さを認識させられた現場はなかった。

 

上棟

 やがて、木の柱や梁が立ち上がり国道からも特徴的な建築の姿が認められるようになる。建主、設計者、工事関係者が会して厳しい冬の原野でおごそかに上棟式が執り行われた。屋根が葺かれ、外壁に落葉松の羽目板が貼られ、木製の窓が入れられて、仕事は内部に移っていく。

 

 弟子屈にも遅い春が来た。工事は予定よりかなり遅れていたが、建物はようやくその輪郭を原野にあらわして来た。設備工事、電気工事、断熱工事などが進み、内装工事に入る頃には、ほぼ、内部外部とも形を整え、建物内部の形や空間のつながりが体験できるようになる。

 

 設計者はこの頃が一番楽しい。事務所で図面を引きながら、模型を作りながらイメージしていた外観や内部空間が、そのままの形で立ち上がっていく。大工や職人と打ち合わせをしながら現場内を見て歩く。魅力的な夏の季節に、毎年子供を連れて泊まりに来る姿を想像して一人ほほ笑む。「これは、お父さんが作ったんだよ。」と言ったら子供はどんな反応をするだろうか、楽しみである。

屈斜路原野ユースゲストハウス

内部化されたパティオ

 仕上げ工事は急ピッチで進む。この建築を見た人の口からは、ピラミッドの様だとか、スフィンクスの様だとか、いや、ロケットじゃないかとか、果ては巨大な昆虫が移動している姿みたいだとか、いろいろな感想が出てきたが、私の中で最初に形体のヒントになったものは、西欧を旅した時に、イタリアやスペインやフランスの田舎で見た中世のロマネスク教会であった。内部空間の形がそのまま外部に現れ、素材を生かした、素朴なロマネスク教会の内部に立った時の、あの包まれた様な空間体験は私の身体にいまだに強烈に残っている。

 

 さらには、外部に「中庭」を作る事のできない自然環境のなかに「内部化された中庭」を作ろうと試みた。中庭を取り囲む建築の味わいをどうにか北海道で作りたかったのである。内部化された中庭は、この建物に集う人々の憩いの場所にふさわしい。ある方が、いにしえのキャラバン・サライ(らくだで旅するキャラバンの休息・宿泊の為の施設)の様だと言って下さったが、私の思いが伝わった気がしてとても嬉しかった。

屈斜路原野ユースゲストハウス

いくつかの経験

 現在、北海道では、厳しい自然環境に対応した建築が増えてきている。それらは、機密性能・断熱性能・最小限換気・低温水暖房などの技術に裏打ちされて登場したものであるが、まだようやく芽が膨らんだ段階であり、本州の伝統的な形(デザイン)や、新しいデザイン潮流に負けない「北海道独自の形」はこれから作られていくのだと言う気がしている。

 

 北海道の建築はこれからも変貌を遂げていくであろう。いくつかの経験を通して、北海道独自の形は、自然環境と対峙し真摯にデザインを模索していく事によってしか得られない事が分かった気がする。これからも北海道独自の形にこだわって建築を続けて行きたいと考えている。

屈斜路原野ユースゲストハウス
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